歴史に学ぶリーダーシップ【第3回】藤原純友


こんにちは!
本シリーズ「歴史に学ぶリーダーシップ(日本ver)」では、日本の歴史上に登場する偉大なリーダーたちの生涯とリーダーシップから、現代の私たちが学べる教訓を探っています。
全15回を予定しており、前回(第2回)まででは大きな改革を成し遂げた女性リーダーである持統天皇に注目しました。
今回の第3回では、平安時代中期に大規模な反乱を起こし、朝廷を震撼させた藤原純友を取り上げます。彼は瀬戸内海一帯を中心に “海賊の頭領” とも呼ばれる勢力を築きましたが、果たしてどのようなリーダーだったのでしょうか。
目次
藤原純友とは――平安中期“承平天慶の乱”の一翼


出自と官職経験
藤原純友(ふじわら の すみとも)は、10世紀前半(平安時代中期)に生きた人物で、阿波国(徳島県)や伊予国(愛媛県)の受領(地方長官)を務めたという説があります。
地方官として仕事をこなす中で、瀬戸内海の航路や貿易事情、地方豪族の動向を把握する力を培ったとされます。
瀬戸内の海賊化へ
中央からの徴税強化や地方政治の腐敗に嫌気がさしたのか、あるいは上官とのトラブルか――いずれにしても純友は官職の立場を離れ、やがて瀬戸内海で武装勢力を率いる立場へと転じます。
同時期に起こった“平将門の乱”との関係
同時並行的な反乱平安中期最大の乱として知られる「承平天慶の乱」は、関東の平将門と瀬戸内の藤原純友という二大勢力の蜂起が重なりました。
朝廷の鎮圧軍も二つの反乱対策を同時に進めねばならず、対応に苦慮したと言われています。
瀬戸内海の覇権――藤原純友の乱(939~941年)


反乱の経緯
海上支配で朝廷を揺さぶる瀬戸内海は古来より交易・物資輸送の要衝でした。
純友は海軍力(海賊行為)を駆使し、朝廷への貢納を阻止するなど、大きな影響力を握ることに成功します。
地方豪族や海民との結束受領としての知識や人脈を活かし、地方豪族との連携を強化。
瀬戸内海を事実上掌握し、地域の住民や商人たちから一定の支持を得たとも考えられています。
朝廷の追討と終焉
大規模な討伐軍派遣941年頃、朝廷は “海賊征伐” の大号令を下し、藤原純友の本拠地である伊予国をはじめ各地を次々に制圧。
純友の最期香川県の志度や愛媛県の日振島(ひぶりじま)などに転戦しながら抵抗を続けましたが、やがて朝廷軍の前に敗れ去りました。
最終的な純友の行方ははっきりとしていませんが、討ち取られた、あるいは海上で戦死したという説が有力です。
瀬戸内海を2年間も掌握し続けたことは、中央集権化を図る政府にとって地方の不満が溜まっていたことの証左でしょう。
行き過ぎた中央集権化はやがて分裂や新たな政権の台頭を呼び込みます。
賊徒か、地方の英雄か?――藤原純友の評価


中央史観:反逆者・海賊の頭領
朝敵としての断罪古代の史料では、藤原純友は「賊徒」「海賊頭領」とされ、反乱鎮圧は朝廷の “治安回復” として強調されます。
私利私欲に走った反乱者のイメージ藤原純友=権力奪取・財貨略奪が目的の “裏切り者” というネガティブな評価が、従来の通説でした。
地方・近現代史観:社会不満の代弁者
過度な徴税と政治腐敗への抵抗近代以降の研究や地域伝承の中には、純友を「中央の圧政に苦しむ人々の声を代弁したヒーロー」と捉える見方もあります。
海上ネットワークの開拓者瀬戸内の安全を確保し、逆に海賊行為を抑制していたという指摘もあり、必ずしも “悪” だけで片付けられない存在だというのが近年の研究潮流です。
📌 物事は多面的に捉えることが肝要です。
中央政府側が最終的に討伐していますので、討伐された側が悪と伝承されていきます。
しかし、地方では純友の協力者たちは英雄として見ていたのです。
現代のリーダーが学ぶべきポイント


ネットワーク構築力
官職時代の人脈や知識を武器に、海上勢力・地方豪族と連携して巨大な組織を作り上げた。
現代の企業経営や地域活性化にも通じる “多様なステークホルダーとの協働” がうかがえます。
地域目線のリーダーシップ
中央から遠い地方ほど、税負担や政治腐敗に苦しめられていました。
純友は瀬戸内の人々の支持を集め、部分的に “自治” を実現したとも考えられます。
“現場の課題” を把握し、迅速に対応する力がリーダーに求められる点は、今も昔も変わりません。
二面性を伴う評価
朝廷からは賊徒扱いされ、一方で地方では英雄視されるケースもある――リーダーには必ず支持と批判がつきまとう、という典型的な例といえます。
一方向だけではなく、多面的な視点で状況を捉え、そこにある利害や背景を総合的に判断することが大切です。
まとめ
第3回「藤原純友」では、平安時代中期に瀬戸内海で大規模な反乱を起こした彼の生涯とリーダーシップに注目しました。
📌 受領時代の経験と人脈を活かし、“海賊頭領” として瀬戸内海を掌握した背景には、高い組織化能力や現場把握力が感じられる。
📌 朝廷からすれば純友は “朝敵” であり徹底討伐の対象だったが、地方では “圧政からの解放者” として一定の支持を集めていた。
📌 中央集権の論理と地方現場の論理がぶつかり合う中、反乱という形で歴史に名を刻んだ純友の姿から、現場の声を掬い上げるリーダーシップのあり方が問われる。
次回は、また別の時代に活躍したリーダーの視点から、組織を導くヒントを探っていきます。
どうぞお楽しみに!