〝大阪の恩人〟〜五代友厚〜【大阪ゆかりの偉人シリーズ】
大阪の発展に多大な貢献をした人物といえば、五代友厚(ごだい ともあつ)がその筆頭に挙げられます。
彼は、商業都市大阪を経済の中心地として再生させた立役者であり、近代日本の経済基盤を築いた一人です。
五代友厚の活躍は、単に事業家としての成功に留まらず、混乱期にあった明治初期の大阪を救い、未来に向けての発展の基盤を築いた点にあります。
本記事では、五代友厚の生い立ちから、大阪に与えた影響までを解説します。
明治維新で混乱する大阪を救った男
明治維新がもたらした政治的・社会的な大変革は、大阪にも大きな影響を与えました。
維新後、日本全体が新しい政治体制に移行し、経済の仕組みも大きく変わっていく中、大阪も例外ではありませんでした。
当時、大阪は江戸時代から続く商業都市であったものの、急激な近代化の波と共に混乱が広がり、特に商業界や産業界は大きな影響を受けていました。
そんな中で、大阪の再生に立ち上がったのが五代友厚です。
彼は、明治政府の下で、商業と産業の基盤を築き直すことで、大阪を再び経済の中心地として活性化させるために奔走しました。
彼が尽力したのは、単に経済活動を盛んにすることだけでなく、大阪の商人や経済人たちが安定して活動できるような仕組み作りでした。
彼が設立した大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)は、商業の発展とともに大阪の経済界を一つにまとめ、商人たちが意見を交換しながらビジネスを発展させる場として機能しました。
五代は、大阪を経済と商業の中心として再生させ、日本全体の経済発展に貢献しました。
五代友厚の生い立ち
五代友厚は、1836年(天保7年)に薩摩藩(現在の鹿児島県)に生まれました。
薩摩藩士の家に生まれ、若い頃から優秀で、特に地理や歴史、外国の情報に関心を持っていました。
彼の父親は商才に優れた人物で、友厚もその影響を受け、商業的な感覚を早くから身に着けていきます。
幕末の動乱期には、薩摩藩の若手武士として活動し、藩のために多くの外交・商業的な任務をこなしました。
特に重要なのは、彼が薩摩藩の藩士として欧米諸国への視察を行ったことです。
1865年に彼はイギリスを中心としたヨーロッパに渡り、そこで産業革命の成果や欧米の経済システムに触れました。
この経験が、彼の後の商業・経済活動に大きな影響を与えました。
五代友厚がイギリス滞在中に見たものは、日本の封建的な経済システムとは全く異なるものでした。
彼は、産業の基盤としての資本や技術、さらには国際貿易の重要性を理解し、これを日本に導入することが急務であると感じます。
この経験こそが、彼の後の人生を決定づける転機となったのです。
何故、経済的なセンスを身に着けることができたのか?
五代友厚が経済的なセンスを身に着けることができた理由は、まず彼の多様な経験と、常に変化を求めて柔軟に対応する姿勢にあります。
幼少期から商才を持っていた父の影響を受け、五代は早くから商業的な感覚を磨いていきました。
また、薩摩藩士としての経験を通じて、政治的・外交的な視点も身に付けました。
特に、薩摩藩の外交活動に関与する中で、物事を大局的に捉える力や、迅速な判断力を養うことができました。
さらに、欧米への視察経験は、彼の経済的な視野を大きく広げました。
イギリスで見た産業革命の進展や資本主義経済の仕組みは、彼にとって大きな刺激となり、日本にも同様の仕組みを導入しようという強い意志を抱かせました。
彼は商売の本質が「変化への対応」であることを理解し、そのための柔軟な発想とリーダーシップを発揮しました。
五代のもう一つの強みは、人材を活用する力でした。彼は、自分自身の経験だけに頼るのではなく、専門的な知識を持つ人々を適切に活用し、彼らの能力を最大限に引き出すことで、自身のビジネスやプロジェクトを成功させていきました。
これにより、彼は商業的なセンスだけでなく、リーダーとしての資質も発揮していったのです。
その後、大阪にどのような影響を与え続けたのか?
五代友厚は、明治維新後の大阪で商業や産業の基盤を築き、日本経済の発展に貢献しました。
彼が手掛けた大阪商法会議所や大阪株式取引所は、日本の経済成長を支える重要なインフラとなり、今もその役割を果たしています。
特に、彼が設立に関わった大阪株式取引所は、資本の調達を容易にし、企業や商人がビジネスを拡大するための資金を得る手段を提供しました。
これにより、大阪は日本の金融や資本市場の中心としての役割を果たし続けています。
さらに、五代友厚は教育にも力を注ぎ、商業に特化した教育機関を設立しました。
これにより、若い世代が商業や経済に関する知識を身につけ、将来の日本経済を支える人材を育成することができました。
彼が設立に関与した大阪商業講習所は、現在の大阪市立大学の前身であり、今も多くの学生に商業教育を提供しています。
五代のビジョンは、ただ大阪を商業の中心地とするだけでなく、近代的な産業都市として成長させることにありました。
彼の影響力は、その後の大阪の経済発展にも強く残り、大阪は日本の商業・産業の中心地として確立されていきます。
まとめ
五代友厚は、明治維新後の混乱期にあった大阪を経済的に立て直し、日本の商業と産業の基盤を築いた偉大な人物です。
彼の生い立ちと、多様な経験、そして柔軟な発想と行動力が彼を成功へと導き、大阪だけでなく、日本全体の経済発展に寄与しました。
大阪商法会議所や大阪株式取引所など、五代が設立した組織は、現代でも日本の商業と経済に重要な役割を果たしており、彼の影響力は現在も続いています。
五代友厚の功績は、大阪の経済的発展に深く根付いており、今後もその精神が受け継がれていくことでしょう。