推し活×哲学|第1話:儀式としての推し活──なぜ人は“現場”に通うのか?


目次
推し活に“意味”を感じてしまうのはなぜか?


ライブや舞台に行ったあと、こうつぶやく人がいます。
「今日の公演は、ほんとうに特別だった」
「これでまた1ヶ月、生きていける」
「現場に立つたび、魂が洗われる」
──推し活とは、ただ好きなタレントやアイドルに会いに行くことだけではありません。
それは「日常を超えた場所に足を運び、意味のある時間を過ごす」という、
古代から人間が繰り返してきた“儀式”に近い営みなのです。
「聖と俗」──ミルチャ・エリアーデが語った世界の構造


ルーマニアの宗教学者ミルチャ・エリアーデは、著書『聖と俗』の中でこう述べました。
「人間は“聖なる空間”と“俗なる空間”を区別し、日常の疲弊から自らを救うために儀式を行う」
つまり──
日常(俗)= 繰り返される同じ毎日
聖なる場= 意味のある時間が流れる場所
推し活の“現場”も、まさにこの「聖なる空間」なのです。
“現場”は日常から切り離された“聖なる空間”


推しのライブに向かう日は、ふだんと違う服を選び、会場へ向かう道で胸が高鳴る。
仲間と合流し、照明が落ち、音楽が鳴り始める──
その瞬間、世界の重力が変わるのを私たちは知っています。
現場は、日常の時間とは異なる「儀礼的時間」が流れる場なのです。
その場所では、次のことが起こります。
- 感情が解放され
- 他人との連帯感が生まれ
- 「ここにいていい」と感じられる
それは、日常の自分から一度離れ、再び“自分”に戻ってくる通過儀礼とも言えるでしょう。
推し活は“人生の再儀式化”である
現代は、かつての成人式や宗教儀式のように「意味のある通過体験」が少なくなった時代です。
でも人は、「人生に区切り」や「感情の節目」を必要としています。
だからこそ、推し活はこうした儀式の代替となり、
自分を取り戻す
誰かとつながる
新しい自分を“再構築”する
──そうした“人生の再儀式化”を果たしているのです。
まとめ──「推しに会いに行く」とは、自分に戻る旅である


推し活の本質は「聖なる空間への巡礼」
現場とは、日常を一度リセットし、自分を回復する“再生装置”
儀式とは、社会ではなく“自分自身に意味を与える技法”である。
だから人は、「今日しかない」と言って現場に向かう。
それは“推しに会いに行く”だけでなく、“本当の自分に帰りに行く”行為なのです。