〝慶応義塾の創設者〟〜福沢諭吉〜【大阪ゆかりの偉人シリーズ】


旧1万円札の福沢諭吉は、大阪の適塾で蘭学を学んだ


福沢諭吉といえば、旧1万円札の肖像として広く知られていますが、彼の学問の原点は大阪の適塾(てきじゅく)にあります。
適塾は、緒方洪庵(おがた こうあん)が開いた蘭学塾で、西洋医学や語学を学べる最先端の学びの場でした。
江戸時代末期、日本はまだ鎖国を敷いていましたが、適塾ではオランダ語を通じて西洋の知識が吸収され、多くの優秀な人材が育ちました。
福沢諭吉もここで蘭学を学び、のちに彼の思想形成に大きな影響を与えたとされています。
『学問のすすめ』や西洋文化の紹介などの本を執筆


福沢諭吉の代表作といえば、明治時代のベストセラーとなった『学問のすすめ』です。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という冒頭の一節はあまりにも有名で、日本社会において平等の概念や学問の重要性を広めるきっかけとなりました。
また、彼は西洋の文化・科学・技術を紹介する書籍を数多く執筆し、日本の近代化に貢献しました。
福沢の著作は単なる知識の提供ではなく、「学ぶことで身分制度から自由になり、自主独立の精神を養うことができる」という思想を人々に示しました。
慶應義塾大学の前身である「蘭学塾」を創設


福沢諭吉は、西洋の学問をより多くの日本人に広めるために、慶應義塾大学の前身となる「蘭学塾」を創設しました。
この学校は、当初は江戸の築地鉄砲洲に開かれましたが、福沢が適塾で学んだ経験が大きく影響しており、蘭学や英学を学ぶ場として発展しました。
彼の教育理念は、「自立した個人を育成すること」。
政治・経済・文化において、日本を国際社会の一員として成長させるために、知識と教養を身につけた人材を育てることが重要だと考えていました。
現在の慶應義塾大学も、その精神を受け継いでいます。
渋沢栄一と比較?福沢諭吉の功績とは


福沢諭吉は、よく「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一と比較されることがあります。
渋沢栄一は多くの企業を創設し、日本の近代経済の基盤を築いた人物であり、新1万円札の肖像にも採用されました。
一方、福沢諭吉の功績は「思想家・教育者・啓蒙家」としての側面が強く、日本の近代化において精神的な礎を築いたといえます。
渋沢栄一:経済や実業界での貢献
福沢諭吉:学問と教育を通じた思想改革
どちらが“上”という問題ではなく、両者とも明治時代の日本を形作るうえで欠かせない存在だったことは間違いありません。
まとめ
福沢諭吉は、大阪の適塾で学び、『学問のすすめ』などを通じて教育と思想改革を推進し、さらに慶應義塾大学の前身となる学校を創設するなど、日本の近代化に多大な影響を与えました。
渋沢栄一のような経済・実業界の発展とは異なり、「学び」「独立自尊の精神」を通じて社会に貢献したのが福沢諭吉の大きな功績です。
大阪ゆかりの偉人として、今もなお彼の教えは多くの人に影響を与え続けています。
次回の「大阪にゆかりの偉人シリーズ」もどうぞお楽しみに!