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2024.10.10

「経済活動」とその語源の「経世済民」の違いについて

現代社会で日々使われる「経済」という言葉は、もともと中国の古典から由来しており、儒教の思想に基づく「経世済民」(けいせいさいみん)という概念から生まれました。

しかし、時代の変遷とともに「経済」はビジネスや市場活動、貨幣の流通といった意味に転換されました。

この記事では、経世済民の本来の意味、なぜそれがビジネス的な「経済」という言葉に置き換わったのか、そして現代の経済活動と経世済民の関連性について考察します。

経世済民とはどのような意味か?

経世済民」という言葉は、中国の古典『礼記』に由来し、「世を治め、民を救う」という意味があります。この思想は、儒教の基本的な価値観であり、理想的な政治を通じて社会全体を安定させ、人々の生活を豊かにするという目的を持っています。

経世」とは、国家や社会を正しく運営し、政治を行うことです。
ここでいう「経世」は、単なる政治運営だけでなく、長期的な視野に立った国家や社会の統治、そして公正で効率的な社会を作り上げることを指します。

一方、「済民」は「民を救う」こと、つまり庶民や社会全体の生活を安定させ、幸福を追求するという意味です。
このように、「経世済民」は、世の中の統治と民の救済が両立する理想的な社会の構築を目指した言葉です。

幕末期の藩政改革で有名な山田方谷やまだ ほうこく)は、この「経世済民」の精神を具現化した人物です。
彼は、備中松山藩の財政を立て直し、藩全体の発展と民の生活改善に努めました。

方谷は、持続可能な財政管理や産業の振興を通じて、藩の安定と繁栄を実現し、民の生活を向上させることを目指しました。
これは「経世済民」の理想を具体的に実践した事例です。

何故、経済という言葉は、ビジネス的な言葉に置き換わっていったのか?

経済」という言葉は、元々「経世済民」に由来していましたが、時代が進むにつれ、次第にビジネスや市場活動に関連する意味を持つようになりました。

この変化には、いくつかの要因があります。

まず、江戸時代後期から明治維新にかけて、日本の社会構造が大きく変化しました。
江戸時代の終わりには、各藩が財政危機に直面し、経済的な課題が浮き彫りになっていました。

その中で、財政運営や商業活動が藩の存続や繁栄に不可欠であると認識され、藩士や政治家たちは、より実際的な「経済活動」に目を向けるようになりました。

例えば、荻原重秀はぎわら しげひで)は江戸時代中期に幕府の財政を支えた勘定奉行であり、「信用さえあれば、たとえ瓦礫でも通貨になる」と述べたとされています。

この発言は、通貨の価値がその素材(金や銀)ではなく、社会全体の信用によって成立するという、現代的な「信用経済」の考え方を示しています。

荻原は貨幣改鋳かへいかいちゅう)を行い、貨幣の流通量を増やして財政を立て直そうとしました。これにより、短期的には幕府の財政は改善しましたが、後にインフレなどの問題を引き起こしました。

この政策は、通貨の役割を経済活動の中心に据えた先進的なものだったと言えます。

一方、明治維新後、日本は西洋の市場経済や産業化を積極的に導入し、「経済」という言葉が市場の動きやビジネス活動を指すようになりました。

特に、西洋の「economy」に対応する日本語として「経済」が使われたことが、この転換の重要な要因です。

こうして「経世済民」の本来の意味は次第に薄れ、「経済」という言葉が市場活動やお金の流れを指す言葉として定着していきました。

お金が流通する仕組み「経済」は経世済民になるのか?

現代の「経済」とは、財やサービスの生産、流通、消費を指し、お金の流れを通じて人々の生活が営まれる仕組みです。

しかし、このお金が流通する仕組みそのものが、経世済民の理念にかなうかどうかというと、そうとは限りません。

現代の経済活動は、しばしば市場原理に基づき、利益追求や競争を中心に動いています。
これは短期的な利益や成長を重視する傾向が強く、全体として民の生活や社会全体の幸福を目指すものではないことが多いです。

特に、貧富の格差や環境破壊といった問題が顕著になり、経済活動が必ずしも民の救済や社会全体の安定に繋がっていないという現実があります。

この点で、山田方谷の「経世済民」の考え方は、現代の経済活動に対する反省を促します。

方谷は、財政再建を行いながらも、藩全体の繁栄や民の幸福を第一に考えました。
彼の改革は、単なる緊縮政策ではなく、持続可能な社会の運営を目指しており、現代の経済政策にも学ぶべき点が多いです。

つまり、現代の「経済」が単なるお金の流れではなく、社会全体の幸福を目指す「経世済民」の理念に基づくものであれば、経済活動が経世済民に近づく可能性は十分にあります。

今こそ、経世済民の経済を構築する国家ビジョンが求められている

現代社会は、経済活動が発展する一方で、環境問題、社会的な不平等、貧困など、さまざまな課題に直面しています。

このような状況下で、今こそ「経世済民」の理念を再評価し、国家や社会全体が新たなビジョンを持つことが求められています。

山田方谷や荻原重秀の事例から学べるのは、経済活動の根本には信用と倫理、そして民の幸福を念頭に置いた政策運営が重要であるということです。

方谷は藩の財政を再建し、荻原は貨幣の信用を軸に経済を回そうとしましたが、いずれも短期的な利益を追求するのではなく、持続可能な発展を視野に入れていました。

現代の経済システムも、単に市場原理や短期的な利益を追い求めるのではなく、長期的に社会全体が繁栄し、民が救済される仕組みを構築することが必要です。

これこそが、現代における「経世済民」の経済ビジョンであり、持続可能な社会と経済の両立を目指す新しい国家ビジョンとなり得るのです。

国家政策としても、環境問題や格差是正に取り組むと同時に、信用や倫理に基づいた経済運営を行うことが求められます。

これにより、「経世済民」の精神を現代の経済活動に取り入れ、社会全体が豊かで安定した未来を築くことができるでしょう。