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異業種のビジネスモデル分析|第6回:ドムドムバーガーの「逆境ブランディング戦略」を読む

ドムドムバーガー ビジネスモデル分析
他業種のビジネスモデルを分析する 第6回
日本初のハンバーガー全国チェーン「ドムドムバーガー」

ビジネスの世界では、成功の法則は決して一つではありません。ときに異業種に学ぶことで、自社の戦略を見直すヒントが見えてくるものです。

本シリーズ「他業種のビジネスモデルを分析する」では、独自の路線でブランドを確立してきた企業を取り上げ、その背景と戦略を読み解きます。

第6回は、日本初のハンバーガーチェーン「ドムドムバーガー」。マクドナルドやモスバーガーよりも先に全国展開を果たした老舗ながら、一度は衰退の危機に直面し、そこから見事に復活を遂げた稀有なブランドです。

その軌跡を通じて、「逆境を武器にするブランディング戦略」を探ります。

ドムドムバーガーの歴史とその名の由来

🏆 日本初の全国展開ハンバーガーチェーン

ドムドムバーガーは1970年、ダイエーグループによって誕生しました。実は日本で最初に全国展開したハンバーガーチェーンであり、マクドナルド(1971年上陸)よりも早いスタートを切っています。

マクドナルドとの決裂が生んだ独自路線

もともとダイエーは、米国マクドナルドとのフランチャイズ契約を検討していました。しかし、ロイヤリティ(加盟料や売上歩合)の条件で折り合いがつかず、交渉は破談に終わります。

その結果、「ならば日本独自のハンバーガーチェーンを自分たちで作ろう」と立ち上げたのがドムドムバーガーです。

「ドムドム」の名前に込められた理念

店名の「ドムドム」は、“DOM”=「Do for Myself(自分のために行動する)」という理念と、ダイエー創業者・中内功氏のスローガンである「どんどん、良くて安いものを出す」という精神の両方を象徴しています。

海外の真似ではなく、日本人の感性に合った味と価格、そして生活者の味方としての立ち位置を目指した――それがドムドムバーガー誕生の原点でした。

最盛期400店舗から絶滅寸前へ

バブル期(最盛期)

全国で400店舗を展開。ダイエーや地方スーパーのフードコートに併設される形で拡大

昭和50〜60年代

地方の子どもたちにとって「ハンバーガーといえばドムドム」だった時代。マクドナルドがまだ都市部中心だった頃、ドムドムは地方で初めて味わう「アメリカの味のスタンダード」として親しまれる

その後

親会社ダイエーの経営不振や競合チェーンの急拡大により、店舗数が急減

400
最盛期の店舗数
4
最低期の店舗数

わずか100分の1に縮小、「絶滅寸前」と呼ばれる存在に

それでも、懐かしさとローカル愛に支えられ、わずかな店舗がファンによって生き残っていきました。

絶滅寸前から「レアハンバーガー」へ — 広告費ゼロの逆襲

一時は全国で4店舗しか残らず、「絶滅寸前」と呼ばれたドムドムバーガー。しかしその希少さこそが、いつしかファンの間で「レアハンバーガー」として語られるようになりました。

「まだ食べられる店がある」「懐かしい味を求めて旅をする」――そんな口コミがSNS上で自然に広がり、ブランドの再発見が始まります。
広告費ゼロの自然発生型マーケティング

運営側は、あえて広告費を一切かけない戦略を選択。「消えかけた老舗が、なぜかまだ生きている」というギャップを自虐的に発信し、ファンの共感と笑いを誘いました。

マスコットキャラクター「どむぞうくん」の活躍

🐘
どむぞうくん

素朴でどこか切ないつぶやきがSNSで拡散し、「哀愁とユーモアが同居するキャラクターブランディング」として注目を集めました。

グッズ販売という新たな収益源

7%

報道によると、「どむぞうくん」グッズの売上が全体売上構成比の約7%を占めたといいます。飲食チェーンとしては異例の高比率です。

ぬいぐるみやアパレルなどのグッズ販売が新たな収益源=「応援消費」として確立。ドムドムは、ハンバーガーを売るだけでなく、「文化と愛着を売るブランド」へと進化したのです。

ハンバーガーショップなのに!? かりんとうまんじゅうの衝撃

🥮 かりんとうまんじゅう

「ハンバーガーショップなのに、まんじゅう!?」

そう驚かせたのが、ドムドムバーガーの話題作――「かりんとうまんじゅう」です。ただの「かりんとうまんじゅう」です。

ハンバーガーショップが、まんじゅうを売る――この一見ふざけたような行動にこそ、ドムドムらしい「逆襲の美学」がありました。

「なぜ!?」「どうしてハンバーガー店がまんじゅうを!?」というツッコミがSNS上で爆発的に広がる
YouTuberが次々とネタとして取り上げることで一気に話題化
「普通に美味しい」「カリっとしておいしい好き」という声が相次ぐ
ドムドム=笑えて愛されるブランドとして再び注目を集める

「笑われても覚えられる」

この”ただのまんじゅう”を出したという事実は、奇をてらったのではなく、ブランド哲学の体現でした。広告費ゼロでも、人々の会話の中でブランドが生き続ける。ドムドムはここで、「話題になる権利」を再び自らの手に取り戻したのです。

ローカルで愛される逆襲 — 地域限定メニューと「ご当地どむぞうくん」

SNSで全国的な注目を集めたあと、ドムドムバーガーが次に仕掛けたのは、地域密着の「逆襲」でした。それが、「地域限定商品」と「ご当地どむぞうくん」の展開です。

地域限定メニューの例

📍 京橋店

バターコーン:過去に販売されていた限定メニュー

📍 ジードム(読売ジャイアンツ球場内)

厚焼きたまごバーガー:ジャイアンツカラーの限定バーガー

単なる限定ではなく、「その地域に行かないと食べられない」特別感が、地元ファンの誇りとローカル観光需要の双方を生み出しました。

ご当地どむぞうくんの展開

🚃 千船駅店(大阪府大阪市)

2024年6月オープン。阪神電車のカラーリングに合わせた「はんぞうくん」(黄色)と「しんぞうくん」(青色)が登場

🏮 赤羽店(東京都北区)

赤羽店限定の「カプセルトイセット」として、特別なデザインの「どむぞうくん」を販売

ローカルカルチャーと共に生きるブランドへ

地域ごとにデザインを変えた「ご当地どむぞうくん」グッズを販売。その土地の名物や祭りをモチーフにしたどむぞうくんが登場し、コレクションやお土産として人気を集めています。

SNSで笑いを取り、全国に話題を振りまきながら、最終的には地元に根を張り、「そこにあることがうれしい存在」へ。ドムドムバーガーは、ファストフードでありながら「地域文化の共犯者」として新しいポジションを築き上げたのです。

仕掛け人 — 39歳まで主婦だった女性社長の逆転劇

藤崎 忍(ふじさき しのぶ)
2017年就任 代表取締役社長

ドムドムバーガーの復活劇の裏には、一人の「しかけにん」がいました。彼女は39歳まで専業主婦として家庭を支え、飲食業とは無縁の人生を送っていました。

若き日:渋谷109のアパレルショップ

ギャル文化の中で、「人はモノではなく『空気と感情』を買う」ことを肌で学ぶ。この経験が後のブランド再生の原点に

2017年:ドムドムに入社

入社してわずか2か月後、「店舗運営に意見を言える立場にしてください」と本社役員に直談判

入社9か月後:代表取締役社長に就任

前例も経験もない中で、「常識の逆をやる」戦略を次々に打ち出す

藤崎社長の戦略

「笑われても覚えられる」プロモーション
「絶滅寸前を逆手に取る」発信
「人の温度が伝わるブランド」への回帰

藤崎社長の言葉

「今はどこで何を食べてもおいしいですよね。そこで『おいしいの上をいく商品』を作ろうと決めました」

SNSでのゆるい発信も、まんじゅうの発売も、地域限定どむぞうくんも――すべては、「おいしさの上をいく人の心が動く瞬間」をつくるための仕掛けでした。

笑われても、信じて仕掛ける

その結果、ドムドムバーガーは再び全国で注目を集め、「日本一小さなハンバーガーチェーン」が「日本一あたたかいブランド」へと進化しました。

それが、ドムドムバーガーを救った「しかけにん」――藤崎忍氏の哲学だったのです。

29
現在の店舗数(拡大中)

あなたの町にふたたび「どむぞうくん」が訪れることを楽しみにしておきましょう。

まとめ:9か月で社長に抜擢された理由

ドムドムバーガーの復活は、単なる経営再建ではなく、「人の目を信じた組織の決断」でもありました。

なぜ入社9か月で社長に?

入社わずか9か月の人物を社長に抜擢する――普通の企業なら考えられない判断です。しかし、長年の経験よりも「現場を見る目」と「人の心を動かす力」を重視したこの決断こそが、ドムドムを再び人々の記憶に呼び戻す転換点となりました。

組織と個人の化学反応

藤崎忍氏の行動力、感性、そして「笑われることを恐れない勇気」を信じて任せた組織。それを形にした「しかけにん」の情熱。この両輪がかみ合ったとき、ドムドムバーガーは「絶滅寸前」から「文化的ブランド」へと進化したのです。

ドムドムが教えてくれること

「人を信じ、自由に仕掛けさせる経営が、最も強いブランディングを生む」

逆境の中でも、挑戦の火を消さない。その勇気こそが、企業の未来を変えていく――そう確信させる復活劇でした。

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